楽に生きれるようになったわけ

人生

今46歳。

正直、10代20代のときに思い描いた中年期ではないけれども、

――と言ってもそんなに詳細に思い描いていたわけではなく、なんとなく28歳ぐらいで結婚して子どもがいて……っていう生活をしているんだなと思っていました――

昔よりもすごくいろいろと精神的に楽になりました。

昔はとにかく悩みが多かった。

  • 自分のことが好きになれない
  • 人にも密かに厳しいけど自分にもかなり厳しい
  • 理想やプライドが高い
  • 弱音を吐けない
  • 人に頼れない
  • 一人で悶々と悩む
  • 仕事も恋愛うまくいかない

……などなど、とにかく悩まない日はないぐらい、悩んでいました。

日記を書く習慣があったので、当時はとにかく日記を書きまくっていました。

何年か前に当時の日記を読み返して、恥ずかしくなってほとんど捨てましたが(笑)。

いつからか、そんな自分でもいっかって思えてきた

自分の日記を読み返して恥ずかしく思うようになったころから、悩んでいてもいっか、そんな自分でもいっかと思えるようになってきました。

だんだん自分に対して緩くなってきた(笑)。

やっぱりありきたりですが、昔は「人からどう見られるか」が自分にとってすごい重要事項だったんですよね。

人からかっこ悪いと思われてはいけない、とか。

「人からこう見られたい」という自分の理想が高すぎて、自分で自分の首を絞めていました。

今は?

今も昔の名残はありますが、だいぶ「どうでもいいや」と思えるようになりました。

日記を読み返す、は最強かも

まぁでも一番の理由はやっぱり日記を読み返して恥ずかしいと思ったからかもしれません(笑)。

若いころは人からどう見られるかばかりを気にしていて、自分自身からどう見られるかという客観的な視点を持ち合わせていなかったというべきか……

自分の日記を読み返して、恥ずかしくて恥ずかしくて(笑)。

でも「自分で自分を恥ずかしいって思うのってどうなの!?」と、はたと思ったんですよね。

誰かの目を気にしているから自分に駄目だしして自分を傷つけているのではなく、自分の厳しい目で自分を見て自分に駄目だしをしているだけだったと気づいたんです。

自分の自分に対する目がただ単に厳しいだけだった。

そして自分で自分を傷つけることがすさまじくダメージの大きいことだと知った瞬間でした。

要は、日記を通じて自分のことを客観的に見ることができたんでしょうね。

よく感情や思っていることを紙に書き出せば自分を客観的に見れると聞きますが、悶々とした思いをどこにも吐き出せなくて日記に書くしかないときって盲目的に書いています。

すごいページ数書いていましたが、当時の私は自分を客観的に見ることができないくらい必死で、「なんでこうなの、なんでこうなの」としか思えなかったですもん。

ですが、かなり経ってそのときの気持ちとはまた違う気持ちになって落ち着いてその日記を読んだときに、初めて客観的になれるんだと思いました。

それ以降は、自分のことを客観的に見るように心がけるようになりました。

さすがにもうあんな恥ずかしい思いはしたくないですから(笑)。

今もときどき日記を書きますが、書き終わったり書いている途中に常に客観的になるように意識しています。

そのままの自分を直視できるようになった

自分のことを客観的に見れるようになったのはなぜかなと考えてみると、そのままの自分を直視するようになったからのように思います。

あるときから自分が掲げていた理想はドラマだったり漫画だったり、そういうものから得たイメージでしかないと気づいたんです。

漫画やドラマをあまり見なくなったころからそれに気づいたきもしますが、自分がこうなりたいああなりたい、あれが欲しいこれが欲しいと思っているものは、どこかで見たことのあるものしか思いつかない、とわかったんです。

本当に何もない状態=自分の想像力・創造力からそうなりたいと思っているものではないのかも、と気づいたときに、はて、自分はどんな状態を望んでいるんだ??と考えるようになりました。

そうするとですね、自分の望みは……

まずは「楽に生きたい」

だったんですね(笑)。

とにかく楽に生きたい

とにかく緊張して強ばりながら生きてきたので、精神もさることながら体がまず悲鳴をあげてたんですよ。

自律神経のバランスが狂って体がとにかく重たい半生を送っていたので、とにかく体が楽に生きれれば、まずはそれでいい、それで幸せ、と思ったのです。

それからですね、もう緊張しながら生きる人生はやめようって思ったのは。

それからはかなり自分に対して緩くなれて、駄目だしが少なくなりそのままの自分にOKを出せるようになりました。

ま、結局なんでもいいか(笑)

でもそれができるようになったのは40代をすぎてからです。

今思えば若いころにしっかり悩んでおいてよかったとも思いますが、でも悩まないでいい人生を送れたのならそれもよかったのかもしれません。

正直わかりません。

でもそれでいいのだと思います。

だって若いころにしっかり悩んでおいてよかったって思っていたら、それはそれで「あの若者は悩んでいなさそうだから年をとったら苦労するな」とか、他人に対して批判的になりそうなんですもん(笑)。

ま、結局、自分自身が楽に――苦労はありますがその苦労を楽しめるということも含め――生きれるようになればなんでもいっかという心境です。

これからも、出来合の理想像ではなく今の自分自身がなにを望んでいるかに毎瞬毎瞬フォーカスを当てながら、幸せに楽しく生きていきたいです。

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