ちょっと前から読んでいた夏目漱石の随筆集を読み終えました。夏目漱石も生きづらさに悩んでいたんだなということが端々に感じられる1冊でした。
硝子戸の中 (新潮文庫 なー1-15) [ 夏目 漱石 ]
こちらは亡くなる約2年前、病気がちになり人生について深く考えながら硝子戸の中で過ごす日々に書かれ、朝日新聞に連載されたごく短い随筆をまとめたものです。
前半は漱石のもとを訪れる人々や出会った人々とのエピソードなどが多く、後半は幼い頃の家族や友人、周りの人々との思い出が主に語られています。
たわいもない出来事や思い出話、昔を回想する話が主で、本当に日記のような感じなのですが、漱石の手にかかるとこんなにも含蓄の感じられる、とても味わい深い文章になるのか・・・と驚きです。
そしてなぜかわからないけれどほゎっと心が温かくなる随筆ばかりでした。
夏目漱石の表向きの性格を表すようなとても淡々とクールに綴られている文章ですが、内に秘めた繊細で傷付きやすい性格、そして心の優しさが端々に感じられます。
特に第33回の随筆は『草枕』の冒頭の名言に通じる内容で、生きづらさにもがく漱石の苦悶が感じられました。
以下JLogosのサイトより
【名言名句】
智に働けば角が立つ情に棹させば流される意地を通せば窮屈だとかくに、人の世は住みにくい
【解説】
『草枕』冒頭に出てくる名句。人づきあいの難しさを説いたもの。世間の人とつきあうときには、頭のいいところが見えすぎると嫌われる。あまりにも情が深いとそれに流されてしまう。また自分の意見を強く押し出すと、衝突することも多く世間を狭くする。人づきあいというのは、智と情と意地のバランスを上手にとらなければならず、なかなか困難なことだ、というのである。
もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪(ごうはつ)の疑いを挟(さしはさ)む余地もないほど明らかな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出て来るすべての人を、玲瓏透徹(れいろうとうてつ=玉のように透き通って美しいこと)な正直ものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授けたまわん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容(い)れる事ができないか、この両方だけしかないような気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。(三十三より)
この一節は特に人間関係に関して苦悶する様子が描かれた部分ですが、この本から感じ取れる漱石の観察眼は繊細な感性から生み出されるものであり、人間関係に限らず、人生全般における生きづらさは避けて通れないものだったんだろうなぁと思いました。
青空文庫で無料で読めますが、やはり文庫本で注釈つきは読みやすくて助かります。
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